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耐震基準:不動産鑑定士嶋内雅人のブログ

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1月1日の能登半島地震で、大きな被害が生じました。今回のメルマガでは、地盤と安全な土地をテーマとするところですが、これに関連して耐震基準を取り上げます。

日本では、大地震による被害状況をもとに、耐震基準が改正されてきました。

1891年、濃尾地震が発生しました。この地震で大きな被害があったため、旧文部省に震災予防調査会が設置され、耐震構造の調査研究が本格化しました。

その後、建築技術者が欧米の耐震構造を学び、鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建物が設計されるようになりました。

1923年には、関東大震災がありました。欧米の耐震技術を取り入れた建物にも被害がありました。

そのため1924年に市街地建築物法を改正し、「震度法」という日本独自の耐震規定が制定されました。なお、市街地建築物法は1920年に施行された法律で、現在の建築基準法の前身です。

この規定は、建物に作用する地震時の応力(水平震度)を建物荷重の0.1とし、この応力に耐える筋交いや壁の配置を義務付けて剛構造とすることを定めたもので、世界初の耐震規定です。

耐震規定が制定された後、いくつかの地震がありました。しかし、戦争中の情報統制のもとで公表されず、被害の教訓は耐震に生かされませんでした。

戦後の1948年には、福井地震がありました。この地震を機に、1950年に建築基準法が制定され、水平震度はこれまでの2倍の0.2と設定され、許容応力度設計も導入されました。

1968年には、十勝沖地震が発生しました。これまでの地震と比べると被害は小さかったものの、新築のコンクリート造の柱にも多くの被害が出たため、1971年に柱の帯筋間隔をこれまでの30㎝から10㎝と密にするように、建築基準法施行令が改正されました。また、木造の建物はコンクリート造の布基礎が義務付けられました。

耐震基準は、次号以降でも取り上げます。


■編集後記■━━━━━━━━━━━━━━━━━━・・・・・‥‥‥………


東日本大震災のとき以来、地震というと原子力発電所が気になって仕方ありません。能登半島にある志賀原発は、幸い大きな事故はなかったようです。

能登半島地震では、半島の北側が広い範囲で隆起しました。港の機能が果たせなくなっているところもあるそうです。復旧にはかなり時間がかかりそうです。

地震による隆起で思い出すのが、秋田県の象潟です。現在の象潟は、田んぼの中に小さな丘が点在しています。

ところが、昔の象潟は松島のような景観だったそうです。松尾芭蕉は、おくの細道で「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし」と書いています。

なぜ今は陸地になったのか。それは、1804年の象潟地震で湖底が隆起したからです。

湖だったところが陸地になる。自然の力は恐ろしいです。

もし、原発が面している海底が隆起し陸地になり、冷却水を取り入れられなくなったとしたら。

考えたくもありません。全ての原発を廃止すべきです。